2011.3.11。あの日何してた?

昨日書けよって話だが。


11年前の昨日。東日本大震災が起きた。
あの時の自分について少し書いてみよう。

まず言えるのは、「あの時の自分はまだ何者でもなかった自分だった」
ということである。

3月11日、自分は中学校の卒業式だった。
卒業証書を受け取り、友人とたわいない会話をして別れを惜しんだ。

これが「何者でもなかった自分」の答えである。
中学を卒業し、その中学校の所属から抜け、4月からの高校にも入学していない。
人生のうちにほんのわずかに経験し、卒業と入学のはざまにある
どこにも所属していない自分だったのだ。


卒業式は午前に終わり、午後から母親と一緒にある場所に向かった。

携帯ショップだ。

我が家のルールとして、「高校入学したら携帯を買ってあげる」というのがあり
高校生のお祝いで携帯電話が渡されるのだ。

諸々の契約を経て、自分初の携帯電話(ガラケー)が手に入ったのだ。
携帯を受け取り、店を出て、母親の車に乗って「さあ帰るぞ」といったタイミングで

地震が来た。


関東圏で当時揺れを経験した人は分かるが、最初の揺れは「大したことがない」と思ってた。
しかしどうだ。揺れがますます強くなり、縦揺れまで発生した。
例えるならデコボコ道を走る車に乗っている感覚だ。

目の前にあったショップも大きく揺れ、店内のスタッフも避難していた。

「あの時、自分の契約が1分でも遅れたらどうなってしまったのか?」
今でも考えてしまう。


やがて揺れが収まり、車のラジオを付けた。
ニュースで「震度7」と聞いた衝撃は今でも忘れられない。

さらに恐ろしいのがある。
停電だ。
これから帰宅する人にとって信号が止まってしまうことは致命的だった。

何とか帰宅した自分は、自室の状況に衝撃を受けた。
積んであったプリントや教科書といったものが散乱し、足の踏み場がなかった。

そうして、ニュースに流れる津波の映像を見つつ、DSでうごメモを見ていた。
自分にとってのSNSは携帯よりも「うごくメモ帳」だった。

(だって買ったばかりの携帯に連絡先なんてなかったもん)
顔は見えないが、第三者とつながりを得る安心感に少し安らぎを得ていた

こうしてその日が終わった。

この後、物流が途絶え買いだめが問題になること、ガソリンや食料品の在庫不足、計画停電が発生するといったことがあるとは思わなかった。
それほど、あの時の震災は忘れなれないものだった。


震災から11年
あの時何者でもなかった自分は、会社という組織に属する人間になった。

すでに当時を知らない人が存在することに衝撃を受ける。
時が経つのは早いが、災害はいつ起こるか分からない。
その気持ちをもって一日を過ごしていきたいと思う。